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悩みがあるのは、叶えたい夢があるから。
「当たり前」は、当たり前じゃない。誰かが、私を守ってくれる家族や友人、周りの人が私の「当たり前」を作ってくれているんだよね。近すぎて、時々見えなくなるけど、これが一番の幸せだ。いつかは私も誰かの「当たり前」をつくることができればいいな。
自分の思いを、もっと大事にしていい。 貴方が良いと感じるなら良いし、違和感があるのならそうなんだよ。その気持ちが正しい。そう感じてていい。そう思ってていい。何一つ間違っていない。答えは、いつでも自分の心の中に。
みんなが通り過ぎて気にも留めないようなことに気づき、それをずっと考えられる。それは時に辛いことも多く、傷つくこともしかり。でもその分、自分の身の回りにあるどんなに小さな幸せも逃さない力も持っているということ。繊細であることって素敵なことだ。
ふとした時に、顔を出す、あのときの弱い自分。変わったはずなのに、変えたはずなのに、まだ心のどこかにいる。でも、そのままそっとしておこう。そんな自分も、どこか愛おしい。傷だらけでも、それはそれで必死に生きている証だと思うから。
もし、今、辛くて苦しくてこのまま消えてしまいたい、と誰にも言えずに自分でその気持ちをなんとか消化しようとしている人がいたら、この画面の向こうにも同じ人がいるということを、ただ伝えたい。 わたしも1人じゃない、と思いたい。
“ただ生きているだけ”だって、誰かがそっとその背中を支えてくれている。その日食べる物から使う物まで。名も知らない沢山の人たちが、自分がその日を生きることを可能にしてくれている。当たり前のように感じるけど、これは到底当たり前では成り立たない。
世の中に、絶対はない。「当たり前」のことは、あっという間に私の手からこぼれ落ちてゆく。なくして初めて気付く、その存在感。いなくなって初めて分かる、あの人の偉大さ。「当たり前」は当たり前じゃない。今周りにいる人たちやモノを大切にしたい。
自信を持つことは、どんな自分でも好きでいること、弱さも全部受け止めて、まるごと自分を愛することから始まる。たとえ、誰に何を言われようと、笑われようと、嫌われようと、自分だけは、味方であり続けること。
人と自分、比べて、何が分かる? 私の人生の主人公は私。あとは全部、脇役だよ。そのストーリーがどう進むのか、どう終えるのかも、全て自分次第。
理不尽だなあ、と思うことが多い今日この頃。 自分ではどうすることもできないことが、今起きている。どうもがいても、変わらない現実が目の前にある。でも、それにどう立ち向かうのか、それは自分で変えられる。自分の態度は自分で変えることができる。
もうそろそろ、新しい恋をしたくなった。素敵なあの人が忘れられなくて、でも叶わないことは分かっていて。 今度は、自分を好きだと言ってくれる人に、私も好きだよと言える人に、出会いたいなあ。
思いがけずふと外で出会った人たちの優しさに触れたとき、冷たくなっていた心がとてもあたたかくなりました。沈んでいたときだからこそ、よりそのありがたさが分かったような気がします。
今まで辛かったね。苦しかったね。もう自分を許してあげていいんだよ。十分頑張っているよ。そんな姿が素敵だよ。認めてあげよう。自分も幸せになっていいんだよ。なれるんだよ。その過程を、一緒に楽しもう。また新しいストーリー、作ろう。
好きになった人はどこまでも素敵な人でした。 出会えて良かった。 自ら想いを伝えることができて、良かった。届かなかったけど、良かった。でもこんなに辛いとは思わなかった。あなた以上の人にこの先出会えるとは思えない。今も好きです。
周りにどう見られているかを自分に問い続けるよりも、私は自分に恥じない自分でいられているかを、ずっと問い続けて生きていたい。
自分が良いと思ったものが良いものであるし、好きなものを好きだと自信持って言える人でありたい。 少数だとしても、理解されなくても、自分が大切だと信じるものを大事にしたい。
今までの私が、とんでもないところまで連れてきてくれた。死ぬ程辛いと思った過去は後からでも捉え方は変えられるし、未来は文字通りこれから変えてゆける。あの時夢にみた日々が見え始めてきている。ありがとう。これからも一緒に、同じ景色を見よう。
蝋燭の火は周りを照らすために灯される。人も同じ。人が人を照らす。あなたも誰かに灯されたから、今、輝いている。やがてそれは誰かを照らすものになる。
どんな形でも、人を好きになることで、自分のいる世界はどんどん広がってゆく。
もやもやして、どうしていいか分からないとき、 いつもここに帰ってきます。 私の居場所の1つです。 顔も名前も知らない方々の「きほん」に出会い、救われています。 ありがとうございます。 言葉は、本当に偉大ですね。
あなたが思う自分の姿と、相手が想う自分の姿が同じとは限らないよ。自分だけの世界で、自分を責めたり、傷つけたりしないで。自分にとって、マイナスだと思っていた、ダメだと思っていたところが、案外、周りにとっては愛おしく、魅力的だったりするんだよ。
あるとき交わした言葉が、そのとき見た顔が、その人との最後になってしまうかもしれない。そんなことが起きるなんて、想像もしたくもないけれど、誰かと一瞬でも共に過ごした時間を、これからはもっと大切にしようと思う。
君の居場所は、1つだけじゃないよ。関わる人たちも、これから出会っていく人たちも、それぞれが違う地点にいる。スタートラインも違う。まだチャンスあるよ。すぐそこに、まだ君が知らない世界があるよ。 1つでつまづいても、他をあたればきっと大丈夫。
自分にとっては素敵な夢でも、他人にとっては所詮「儚い」もの。 でも、いいんだよ。それでも。分かってもらえなくて当然だから。あなたは、あなたの夢を追いかけてればいい。自分を信じて進めばなおさら強い。そういう姿は、きっと誰かの心を動かすから。
ミモザの木。植えて2年、花が一輪も咲かない。え、大丈夫?と母に聞いたら、「土の下で根を深く深く張ってから、お花は咲くよ」と教えてくれた。今は見えなくとも、せっせと土台をつくっている。積み重ねたその努力は、きっとこれから沢山の花を咲かせる。
相手の考え、思いは私がコントロールできるものじゃない。私がコントロールしなきゃいけないのは、自分の船。ハンドルは誰かに任せない。操縦するのは私。
いつも、心にありがとうの気持ちを。
「こんなわたしなんて」と、前ならすぐしょげていた。 最近、「でもこれでよかったじゃない」って思えるわたしがいて、ちょっぴり誇らしい。諦めるわけでもなく、妥協しているわけでもない。ただありのままの自分を認められるようになったのだと思う。
“周りからの評価は、雨の日くらい気まぐれ” 。そう知っているだけで、生きるのが楽になった。今まで雨を避ける術を知らず、いつもずぶ濡れだった私は、雨が降ったら自分に傘を差せばいいんだと気づいた。雨の日は傘を差そう。
何気ない日常から紡ぎ出される、儚くて切なくて、真っ直ぐで、あたたかい、いろんな味のある言葉であふれるこの場所が、わたしは大好きです。
あのとき、あの人たちが何気なく言った言葉。私に向けてきた視線。それが、向けられた人の心を深く深く傷つけるなんて、思いもしないで。でも、私も知らずに誰かを悲しませる言葉をかけてしまっていたかもしれない。気をつけよう。そして、ごめんなさい。
君に、届け。
自分のなかで悩みに対して、答えが出せたな、と思って、しばらくそれでやっていても、そう上手くはいかなくて、また壁にぶつかる。それを繰り返しているように思う。そうやって、人生はつくられていくのかな。
自分のことについて誰かに言われたことは、あくまでも自分の可能性の1つ。私が選べる選択肢の1つ。その人が私に対して抱く勝手なイメージだし、「そうあるべきであるのが私の姿」じゃない。ぶち壊したっていい。大事なのは、「じゃあ、私はどうしたい?」
何事も、自分のペースで。
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