アメリカを代表する女性画家のジョージア・オキーフは、夫アルフレッド・スティーグリッツの亡き後、ニューメキシコ州のアビキューという村に、自分でデザインした、アドービという日干しレンガの家を建て、そこで孤高の晩年を過ごしながら数々の素晴らしい絵を描いた。
オキーフが、その地で永住を決意したのは六十二歳の時だ。
洗いざらしのシャンブレーのシャツに、同じ色のロングスカートを身につけ、アドービの中庭に佇む、オキーフの写真を見たことがある。なんてすてきなのだろうと思った。
標高の高いニューメキシコの、射るように強い日差しの中で、目を細め、まっすぐに立つその姿に、晩年の一人暮らしの豊かさと厳しさ、平安で、簡素な暮らしが見て取れた。
なによりオキーフのまっすぐに立つ美しい姿勢が、強く印象的だった。ああ、自分もこんなふうに歳を取れたらいいなと素直に思った。
オキーフの晩年の暮らしは、マイロン・ウッドの美しい写真と、看護人として働いたバッテンのエッセイが綴られた「オキーフの家」で触れることができる。
岡倉天心の『茶の本』を、晩年のオキーフが愛読していたのは有名なエピソードだ。
「細かいことに繊細な目を向けて生きることだ。季節の花、石に落ちる水の音、暮れなずむころの気配などに。そうすることで自分が大きくなれるからではない。自分を超越する者と調和して生きられるようになるからだ。」(岡倉天心「茶の本」より)
岡倉天心の言葉は、まさに、オキーフの生き方そのものを表現している。豊かで、広々とした、静けさを楽しみ、一人でいる時間を大切にし、あらゆるものに誠実に向き合う暮らしは、時に頑固で、何事にも率直だったオキーフに、時に孤独を、時に癒やしをもたらした。どちらにしても、この暮らしはオキーフ自身が求めたものだ。その生き方、その習慣が、オキーフの美しい姿勢を生み、老いても前進を続ける力を生み出した。
アドービのオキーフの部屋。そこには一切の乱雑さは排除され、まぶしい光と、清潔な空間によって構成されている。川で拾い集めた石や動物の骨が宝ものように置かれ、その土地で育った生き生きとした草花が花瓶に活けられている。
一見ストイックかのように見えるオキーフの暮らしは、簡素であるからこそ、日々基本を繰り返し、自身とまっすぐに向き合う、新しい自由という豊かさに満ちている。私たちは今こそ、そういう強さを学び、手に入れるべきではなかろうか。
オキーフのこんな言葉が残っている。「誰も花を見ようとしない、花は小さいし、見るということには時間がかかるから。そう、友だちをつくるのに時間がかかるように」。僕はこの言葉が大好きだ。
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石や骨や草花。まるくてやさしいもの…すべての母の愛のような。心をシンプルにすることで、大きな愛と繋がって癒しを生みだしたのかも知れませんね。すてきで愛おしくなるお姿ですね。ありがとうございます。感謝。